私のサッカー人生と私

ども!あいたんです。今日は真面目な話をします。殴り書きみたいなものですが。

 

 

 

 今現在、私はサッカーをしたいとは思いません。チームの中で一番上手くなければ、みんなを楽しませることができないどころか、みんなにストレスを与えてしまうと思っているからです。

 

 もちろん一度ピッチに立てば、サッカーを楽しむことはできます。やり始めれば楽しめることはわかっています。

 

 ただ、やりたくないのです。自分が一番上手くなければ。

 

 こんな過去があります。

 

 

 

 小学6年~中学3年にかけて、とあるチームに所属していました。そのチームは町クラブなのですが、非常に育成が上手く、もしかすると将来日本代表に選ばれるかもしれない現在高校2年生の選手が何県か忘れましたがナショトレのメンバーになるほどの実力です。私は正直今でもあまり上手くないのですが、それでも一応弱小県内の中堅~上位ほどの実力はあるのかな、と思います。それほど成長させてくれました。

 

小6の時、私はそのチームの私の年代担当のコーチの怒りが怖く、みんなの足を引っ張っていることを非常に言われているようで、とても辛かった思い出があります。必死に頑張っていたつもりでしたが、まぁただ頑張っていなかったのかもしれませんが...ただとても辛かったです。

 

 中学のからは学年の担当が中学対象のコーチに代わり、メンバーが30人ほどいました。その中で、私だけAチームに上がることは三年間一度もなかったように思います。といってもそれは問題ではありません。BチームのメンバーはBチームなりに楽しんでいました。

 

 でも。その時も私は足を引っ張っているようでとても辛かったことを覚えています。私が出たときだけ、特にBチームの中心核にある数名の選手が怒っているようにさえ感じていました。私が出ること自体いやなのではないだろうか、と思っていました。正直しんどかったです。

 紅白戦の際は、僕と同じチームになりたくないだろうと思っていました。

 それでも高校生の時にサッカーは続けていたかったし、チームの先頭に立って引っ張る存在になりたかったから、必死に頑張ってはいました。

 

 

 高校生になってからは、正直チームメイトにいるような相手を2人や3人も交わすようなスキルは全然ありませんでしたが、総合的には足元の技術や判断力、思考力なども含めて明らかに私が一番上手かったと思います。例年1回戦敗退で、メンバーも11人集まったらいいなほどでしたので、そうなっていたのかもしれませんが。

 なので、一番上手かったと思いますから、私はとても楽しかったし、また周りにも楽しんでもらえるような声かけなどをすることができました。最初の1年間はひどい声かけをしていたと思うので、同年代の子には申し訳ないとは思っています...

 

 こう育ってきた私は今大学生になりました。

 

 大学でもサッカーをしたいなとは思いますが、ただチームに入ろうとしても正直自分が一番上手いわけではないだろなと思い、やっていません。

 

 でも思うわけです。

「一番じゃないとか、上手いとか下手とか、それで楽しさを決めるのっておかしくない?」

と。自分ではそう思います。

 

 でも、今までの経験からして、自分は結果的に自分が一番でなければ楽しめないようになっていました。

 

 

 

 中学の公式戦が終わり、紅白戦をしていたある日、コーチにこう言われた覚えがあります。

 

「○○、正直今サッカーやってて楽しい?」

 

 私はこう答えました。

 

「今は楽しくないけど、楽しめるように上手くなりたいです。」

 

 

 

 今思えば、変な言葉だと思います。上手くならなければ楽しめないサッカーだと思い込んでいた俺は、今もしその俺が目の前にいたら心底胸が辛くなるでしょう。

 

 

 

 

 読んでいただきありがとうございます。この文章が、誰かのもとに届けばいいなと思っています。

 共感は必要ありません。このような人が育たないために、どうかあなたの後に生まれてきた子たちを守り、大切に育ててあげてください。私も頑張ります。